理想のお庭

 こんにちは、OKUAKI SUTUDIO です。

じっとりと汗ばむ日々が数日前に終わりを告げたようです。涼しくなったことで喜びを感じつつも、去りゆく夏という季節を恋しみ、懐かしみ、切なくなる、という妙な感情に頭脳が混乱しているわたくしでございます。

萩と雨粒 何萩かは不明です

しかし、頭を抱えてばかりではいけません。過ごしやすくなったということは「お庭のお手入れを始めなさい」というネイチャー界からのメッセージでもあるのです。

コスモス感

 只今わたくしのお庭には “彼岸花” が所々に咲いています。

彼岸花が咲いています

 わたくしが目指しているお庭は “山の中” です。 キチッと、ピカッと、きれいに整えてしまうのではなく、背の高い木、低い木、草花、それらが程よく調和しているような感じ。時に調和を乱すような突飛な存在が現れても、排除ではなく徐々に調和させていくような感じ。

つまりコスモスな感じなのです。なので決してカオスになってはいけない、ということでもあるのです。

アズマヒキガエルも住んでいる

まぁ、“手抜きお手入れ” を正当化する言い訳でもあるのですが、わたくしが “山の中” をお手本にしていることは嘘偽りのない真実でございます。これはわたくしの父が目指していたイメージでもあるのです。

《終わりの鳥》という映画

 お庭作りに関しては、七年前に亡くなった “父の内的イメージ” をわたくしの頭脳へ移行させた、と言ったところでしょうか。父の肉体は消え失せましたが、入れ物を変えて新たなビジョンへと動き続けている、と考えることもできます。

 突然ですが、今年の四月《終わりの鳥》という映画を観ました。余命わずかな女の子 “チューズデー” のところに インコみたいなぼろぼろの鳥 “デス” が降り立ち、様々なことが巻き起こっちゃう、という映画です。“死” を扱ってはいるものの、たいへんユーモラスな描き方をしている映画でした。

デスはいわば死神のような存在なのであります。映画の終盤、チューズデーのママンがデスに質問します。「来世はあるのか?」と。デスは「ある」と答え、ママンがこれから残していく響き、痕跡、思い出がチューズデーの来世を作るのだ、と告げます。

デスの言葉からすれば わたくしのお庭作りは父の来世でもあるのだな、と映画を観ながらしみじみ思いました。

“山の中” のお手本

 話が脱線しましたが、わたくしのお庭に話を戻します。

 お庭の理想の姿である “山の中” を、わたくしの偏ったイメージだけで突き進んでしまうのは危険と考えます。なぜならたぶんヘンテコでわざとらしく、趣がなく、とても薄っぺらになってしまいそうだからです。

そういった悲劇に陥らないために、お庭の良きお手本として高尾山に出向くようになりました。お山も人の手が入っておりますから、わたくしが目指すコスモス感にぴったりなのであります。

きのこも生えます

 わたくしは普段、アウトドア風の出立ちをしていることが多いのですが、真の姿はガチガチのインドア派なのです。そして激しく軟弱でありますから、決して麓から山頂を目指しません。リフトで上がってその先を登る感じです。麓から登ったりしたら高尾山を嫌いになりそうなので、今のところ避けている次第です。

お山の中を歩いていると、お庭作りのヒントがあちらこちらに存在していて勉強になります。そして何と言っても、絵画制作のためにも多くの刺激を得ることができるのです。

 汗だくで体力を奪われることもなくなったし、そろそろ高尾山へ出かけようとかと思っています。